会報一覧(第11号)
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【第11号巻頭言】 東北の大災害から早くも一年余が過ぎ、復興に日夜頑張っておられることでしょう。
当会も上半期の行事等、楽しく進んでいます。これも会員の皆さんのご協力の賜物と感謝しております。
総会から浦和宿探訪、そして毎月の勉強会と、大いに喜ばれ、六月の県外研修(三回目)、夏の中間全体会等の成功を期して役員一同、頑張っているところです。
これからも、会員の皆さんのご意見を汲んで、楽しい学びの場を数多く作っていきますので、宜しく参加・協力の程を御願い致します。__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__私は皆さんが今迄、桶川という地域を学び、いわば桶川学とでも言うべきものの構築に向かって精進されているという風に感じております。この会には、ネイティブ桶川の方、既に親子2代、3代の桶川土着民になろうとしている方、他所から来た新参者、いろんな桶川人がいます。この桶川人は日本、世界に繋がり、交流しながら日々の生活を営んでいます。このような人間関係においては、いわゆるお国自慢や郷土の誇りなどの話に当然話題が行くこともあるでしょう。また、日々の生活を営む中で誇りが糧になる場合もあるでしょう。そんな時、今日の話が参考になればと思います。また、観光地としての桶川というようなものも視野にいれた話にしたいと思います。__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__ここでは、平成22年7月3日(日)に、勤労福祉会館において行われた県立文書館に勤務されている宮澤好春先生のお話しを聞かせていただきましたので、その感想を紹介させていただきます。講演の副題には「庶民からみた和宮下向」とあり、県文書館の先生の話に、身近なものなのかなあとの思いがありましたので、久し振りに学校の授業を受けているような感じで、ジッと聞く態度になりました。__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__地文連中山道宿場巡りの1回目として,昨年(2011)4月23日(土)午前小雨の中桶川駅改札に集合,会長以下13名程が集合した。その後蕨駅西口に 降り立った。主な立寄り先は①城址公園②和楽備神社③三学院④徳丸家跳ね橋 ⑤中山道散策⑥蕨本陣跡⑦蕨市立歴史民俗資料館⑧同分館⑨長泉院梵鐘 下車駅蕨駅が開設されたのは明治28年で,当時中山道蕨宿の町の中心から約1㌔米も東にあった。__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__見学地1:松代象山地下壕/この地域にはあの大東亜戦争末期に政府機関などの疎開先として、昭和19年11月から終戦の8月15にまで工事が進められた壕が3か所存在します。当時の設計図の表書きには「松代倉庫新設工事設計圏」と記され、イ号倉庫(象山=現見学可能地)、ロ号倉庫(舞鶴山=天皇行在所、現気象庁精密地震観測室)、ハ号倉庫(皆神山=当時倉庫に使用)の3ケ所で大規模な防空壕でした。9か月間に約2億円の巨費(当時の陸軍隼戦闘機が1機25万円)、延べ300万人の住民、朝鮮人が動員(3交代の突貫工事)され、終戦までに約10km、75%の進捗率と言われています。__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__檜枝岐に通い始めて15年くらいになる、好きな釣りに毎週のように通った。夜明け前に着くように高速道路を飛ばし、暗いうちに釣り場について竿を出した。
その檜枝岐には星キチさんという物知りのばっちゃんがいた、このばっちゃんから色々な話を聞かせていただいた。釣り名人の話、熊猟の話、未開地開墾の話、そして栃餅の話。__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__私は結婚と同時にいやおうなしに桶川の住民となった。なんで桶川に?と自問自答しながらである。それでも荒川べりをサイクリングしたり、土手の早春の草摘を楽しんだ。
そこから見える富士山の雄大さに感動したり雑木林の渕に流れる湧水をみつけて驚いたり、秋には山栗拾い、春には桜見と四季折々豊かな自然に触れ、又、地文研での新たな桶川との出会いに結構、満足しているこの頃である。__RCMS_CONTENT_BOUNDARY__桶川の町に住んで四十数年になるが、今でも故郷が懐かしく思い出す。私の出生地は上州名物、空っ風で名を馳せている群馬県高崎である。冬季は、上越国境の山々から吹き下ろす赤城おろしの強風が、寒さが身に染みてくる。桶川の地に住んで空っ風が少なくて、ほっとしている。
昭和2,30年代、高崎線で群馬県から東京へ向かう途中、桶川駅を通過する。桶川は小さな町であるが乗降客数の多い駅であると思った。居住して分かったことは、桶川住民はもとより、近辺の上尾や菖蒲、川島、北本の一部の住民が乗り入れている事である。そのため、高崎鉄道管理局での乗降客数は、常に上位のランクに入っていた。__RCMS_CONTENT_BOUNDARY____RCMS_CONTENT_BOUNDARY____RCMS_CONTENT_BOUNDARY____RCMS_CONTENT_BOUNDARY____RCMS_CONTENT_BOUNDARY____RCMS_CONTENT_BOUNDARY____RCMS_CONTENT_BOUNDARY__
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