終戦の頃の私

福田 登女子


 厳しい暑さの8月15日、12時に大事な放送があるということで家中が緊張していた。その日は父が役場に出勤していて、兄は出征中。家に残されたものは祖母と母、長姉と女学生の姉2人と、小学生の私に4歳の妹の女ばかりの7人。それに手伝いの夫婦者と畑を手伝う男衆、隣のおばさんなど大勢がラジオのある部屋に集り玉音放送を待った。

 詳しいことは理解できないが、子どもながらに「その時が来た」という緊迫感は伝わった。藺草の座布団に正座したまま、足を崩す人も喋る人もいない。膝の上で握った拳に力を入れた8歳の私は、夕べの出来事が脳裏に焼き付いて離れない。


 空襲警報のサイレンが鳴り響く中で、爆撃の炸裂音や飛行機の爆音に混じる遠くの叫び声、あたふたと裏庭を走る足音などを防空壕の中で聞いた。しばらくして、2人の姉が防空壕の入り口の階段を降りてきた。「やはり、おばあさんは駄目かい?」、と母が聞いた。

「逃げるのは嫌だって、相変わらず頑として動かないの」と応える長姉に、「今日の空襲は特別なのにねえ」と嘆いたが、すぐに「父さんは?」と続けた。「役場が心配だって……」

 矜持を保ち凛としていた祖母は誰にでも横柄な態度で接していたが、婿養子の父にだけは遠慮していたというか、素直に従っていた。

「あんたの言うことなら聞くかもしれないよ」
 

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