終戦の頃の私

 可愛がってもらっているのだから祖母を連れて来いと背を押され、私はこわごわ防空壕を出た。防空壕は裏庭の大きな樫の木の根方にあり母家まで離れていないのに、とても長く感じられた。夜中なのに東の空は真っ赤だった。B29が飛行士まで見えるほどの低空飛行で、物置の東を飛んで行くのを見て足が竦んだ。

 気を取り直して電気の消えた母家の暗がりに用心深く入ると4尺角の大火鉢に薪が2本燃えていた。その明かりを斜めに受けた祖母が大黒柱を背にして正座し、土間の真ん中にある下大黒柱を睨んでいた。

「おばあちゃん、みんなが心配してるから早く防空壕に入ろう」
「若い者は助からないといかんが、この家が爆撃される時にはおばあちゃんも一緒だよ。家を焼いてしまって生きてたら、ご先祖さんに申し訳がたたんのだよ」
「そんなこと言わないで、皆で助からなくちゃあ」
「おまえたちの無事は祈っているから大丈夫。だから、早くあっちへ行きなさい」
「おばあちゃんだけ死ぬのはやだー」。「ほら、また敵機が来る。防空壕へ戻りなさい」
「いやっ、おばあちゃんも来なくちゃいやだよー」、泣き声で叫ぶと、
「早く行けっ、ぐずぐずせんで行くんだ」

 それまで聞いたことのない祖母の罵声に、私は吹き飛ばされるように駆け出した。


 夜明けに空襲警報が解除になり、父が帰ってきた。手伝いのおさくさん夫婦も交えて、いつものように皆で朝食を摂る。普段は黙って食べろと言う父が、数時間前の熊谷の大空襲の話をし、街が星川に沿ってほとんど焼けてしまったらしいと話した。
 

このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントを書こう!

名前:
Eメールアドレス:
コメント:
ファイル
評価:

画像の英字5文字を入力して下さい。:
パスワード:

携帯サイトのページ


PC版と同じURLです
URLをメールで送る