川田谷と長命寺についての思い出

 私が48年前に頂いた1枚の名刺の一氏は長命寺の住職でなかった事が、今日になってわかった。今、長命寺も無住になり、留守居には広島県の方から移ってきた絵描き御夫婦(何年か前に主人は死亡)が管理なされているとの事。檀家の仏事には、金蔵寺の住職が来て行っている事などを教えてもらった。世の中の繋がりと言うか、どこでどのように繋がっているかわからない、ちょっとした切っ掛けが縁で知り合いになり、今まで知らなかった事をお互いに知り明らかになる事がいっぱいある。

 川田谷の歴史の一端ではあるが、たまたま通信教育が縁で岩槻の小溝の人を知り親しく付き合う仲となり長命寺を知り、お互いに歴史に興味を持ち、自分が生まれ育った「ふるさと」の歴史を調査し続けている。川田谷出身の先人の1人が岩槻の方の寺の住職になられていた事を知り、近年になっても泉福寺と繋がっていた事に深く感動せずにはいられなかった。在野の郷土史を調べている一人として、これからも今回の件を含め記録に残し調査して行きたいと思っている。

「温故知新」今後も郷土の歴史の調査に誇りと気概を持って続けて行きたいと願望してやまい。


 

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