故・植野利治先生を偲んで

杉井 昭雄


「俺らのムラに万里の長城を造って呉れた!」。加納地区の豊かな田園地帯を横切って建設された、JR新幹線の連なる架橋を見渡しながら植野先生は明るく笑った。本当のところは、“ふる里の原風景を台無しにして呉れた“と先生は苦々しく思っていたに違いないと私は思っている。

 恨み言を言わず、明るく笑い飛ばすこの一言が、私の植野先生像の大部分を占めている。

 平成16年末、本会設立の役員でもあった吉川國男会長が脱会した為、残された幹部は“頭”を失い、一時途方に暮れた。そんな時、「植野先生が居るじゃないか!」との提案で、前会長の秋山茂氏、現会長の小川和雄氏と私の三人でお宅に伺い、先生に次期会長就任を御願いした。「まさかの坂に、会長と言う、マ坂があるのか?」、と笑いながら先生は会長役を快諾してくださった。

 平成17年から20年まで4年の間、植野先生は本会々長を務めてくれた。先生のお人柄の良さ、ご人徳のお蔭で会務事業は円滑に運営する事が出来た。之は本会の機関誌「地文研」の先生の稿を観れば明らかになる。各行事の意義、内容などを大変よく把握なさっていて、此れからの会の課題もシッカリご教示,指摘してくれていた。

 植野先生の【篠津桜まつり・代表】が象徴的事象で、先生は加納篠津の文化をこよなく愛し、その継承に勤められてきた。毎年、篠津桜まつりに有志一同でお邪魔する度に、先生と奥様の丁重なお持て成しに与り恐縮したものだ。

 此れからは、桜祭りと遊水地畔に鯉幟はためく頃、赤堀川堤に彼岸花が咲き揃う時期には、明るい笑顔の植野先生の面影を必ず想い出すだろう。合掌。


 

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