大宮競馬場建設記念碑と加藤睦之介
今井 正文
桶川市坂田の加藤農園の入口に大宮競馬の記念碑がかつてあった。高さ2.5m幅1.2mの立派な碑であった。現在、この碑はさいたま市北区の区役所敷地内の公用車駐車場内の植込の中にある。平成20年の区役所庁舎の設置に伴い桶川から移設したものであろう。私がこの碑に気付いたのは昭和56年以降であるが、どうして、桶川に大宮競馬の記念碑があるのかという謎であった。
この加藤農園の先祖に睦之介という人物がいる。この人物の事績は、坂田の総鎮守である氷川神社境内入口の「加藤翁顕彰碑」に詳しい。
昭和31年に建立されたこの碑の撰文によれば、加藤翁は明治18年に晴一の3男として生まれ、明治37年12月に埼玉師範学校を卒業し、桶川、上尾、青木の訓導として勤務、明治41年から45年まで青木村小学校に訓導兼校長として勤務する。その後、関東州旅順民生学堂等に勤務し、大正7年帰国後、大宮に住み、普通選挙運動、青年教育に尽力し、憲政会足立同志会に属し、大正13年1月に県議会議員となり、昭和3年1月に再度県議会議員に当選し、昭和5年民政党より立候補し衆議院議員となる。昭和11年1月大宮町民推薦議員として県議会議員に立候補し再度当選する。この間、埼玉県畜産組合聯合会長として県下に畜産を奨励した。
昭和20年5月大宮市長となり、昭和21年4月自由党より出馬し衆議院議員となり、30年間にわたり国政、県政に深くかかわった。なお、この碑の題字は当時の内閣総理大臣の鳩山一郎、撰文は法務大臣や中央大学総長を務めた林頼三郎で、書は多くの書道に関する著作を有する野本白雲であり、建設賛助者には三木武吉や福永健司、上原正吉等の名前が見える。
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