大宮競馬場建設記念碑と加藤睦之介
大宮競馬場は大宮市年表によれば川越競馬場を閉鎖して開場し、昭和6年12月11日に初競馬会を開催した。そして、昭和16年7月12日に中島飛行機株式会社への敷地売買が決定され、昭和17年6月に軍需工場の建設が開始され、昭和18年3月から生産を開始したという。
この記念碑は、昭和9年に畜産組合により競馬場内に建立されと思われ、敷地の身売りにより桶川に移設され、再度競馬場のあった地に移されたことになる。
競馬場敷地が中島飛行機に売却された時期に睦之介は県会議員、畜産組合長であった。詳細は不明であるが、何らかの事情により生家に一時移転したものと考えられる。大宮の歴史の一齣を示す資料(石碑)が破却されず、後世に無事伝承されたのは、加藤家に移設されたためであると言っても過言ではない。
また、この碑を桶川に追いやった軍需工場は戦後、富士重工業となり、桶川の区画整理事業による東部工業団地(所在は北本市朝日)に移転して来た。そして、競馬場の記念碑が元の場所に戻ったことは、偶然の結果なのかもしれないが、不思議な縁を感じる。
コメントを書こう!