川瀬と堰の思い出

 河原の堤防に隣接した一望千里の田園風景も今では最寄駅より10分程の緑の生垣に囲まれた大規模ニュ-タウンとなっている。

 時期には河川敷近くの桑畑で桑の紫色の果実を頬張り、口辺を紫に染めた。薄の穂が秋風にそよぐ頃には丘陵の上にある松林(現在の智光山公園地区)や付近にある清冽な湧水のある池辺りに木の実などを採りに何時ものメンバーで出かけるのを常とした。


 秋の祭礼の時の記憶として、集落の白山神社で山車の太鼓の撥の片方を何処かに紛失して、えらく叱責されたことが栗お強のご馳走と共に強く心に刻まれている。冬枯れの田圃で頬白を小さな竹籠を餌とともに細長い紐で結び遠く離れたところで野鳥の到来を、胸を躍らせて期待したこともあった。「しろばんば」の洪作少年のように野生児の幼少期だった。

 先輩も今は鬼籍に入れられて、亡父の奥津城(おくつき)の近くに眠っている。時季毎の展墓の折には先祖の墓に手向けると共に、遥か昔の懐かしい時代を思い出して近くの先輩の墓所へも立ち寄ることにしている。故里は何処を見ても遠い昔の面影が残っている。 

 後日関東平野に寒中で初雪が舞った。大雪で交通が混乱し日を置かない冬晴れの日、曾祖父の命日前に墓参をした。日陰にはまだ残雪が凍っていた。霊園から程ない所に、河川と堰が置かれているので、何年か振りに堤防を歩んで堰にたたずんだ。河川敷は昔とは大分変遷しており、堰付近は昨年秋頃から傷んだ部分を大規模に改修工事の為、車両、ユンボ等音を立てて工事を進めていた。

 

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