中山道ぶらり歩き旅Ⅵ ~深谷宿から本庄宿~
参拝を済ませ、中山道に戻り北へ歩む。
普済寺浄水場を左に見る所から直進する新道、中山道は右折、直進右手に「島護産泰神社」がある。榛名郡の総鎮守で安産の神様である。少し先左には「岡廼宮神社」があり、室町時代からの水難厄除けと豊作を祈念して奉納された獅子舞は町の文化財に指定されている。この先から道は蛇行する。少し進むと、豊見坂という坂になる。左手斜面「百庚申」。おびただしい庚申塔が建ち並ぶ。約140年前に造られた「史跡百庚申」で、現在は60基ほどが残っているとのことなので見聞する。
百庚申を出るとすぐ、17号バイパス交差点があり、通過し300m程進むと、小山川という(志戸川・小山川・女堀川・元小山川の四川合流地点である)川を渡る橋がある。この辺は本庄市のようだ。中山道は旧小山川に沿って続く道になっている。したがって道は、北東へと、川の蛇行と同じように道は続く。左側に「牧西八幡大神社」が見えてくる。市指定文化財「金鑽神楽宮崎組」が春・秋奉納されるという。右側には「宝珠寺」歴史的遺構が数多く残る寺である。
さらに中山道は、蛇行を繰り返しながら、今度は北西と変わる。少し歩くと「傍示堂(ほうじどう)」という名前の集落へ「新編武蔵風土記」によると、その昔、仏堂を建てて、街道の案内としたのが、村名の由来と記録されているとの見聞したところで再び歩く。この先の追分は「五料道」という道だという。この辺、道は急に西へ曲(直角の様に)り、元小山川の橋を渡る。真進道のようだ。今度は、かなり先を眺めることが出来る。道は、北西の方向に続き、17号バイパスと交差する。真直ぐに走る17号バイパスに対して中山道は、西に大きく蛇行しながら、17号バイパスと交差するという。随分遠まわりしていることが分かります。江戸時代は、こうして“のどかな”旅をしていたんだなあ-という事と平らで、水の溜らないような、場所を見つけながら道にしたのでしようか?あるいは手のこんだ軍略道と考えたのか?いよいよ「本庄宿」に入ります。
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